ヤラからスンガイコロクへ。スンガイコロク行きのミニバスはヤラ駅の向かいから出る。120バーツもする。11時40分発のミニバスの切符を買う。
少し遅れて出発。9人乗りのミニバスに乗客5人だったのでわりと快適な旅。
検問などはなかった。
3時20分頃スンガイコロクのボーダー近くにつく。居眠りしているうちに町を通り越していた。
モトサイでスンガイコロクの街に戻り、町一番というMarinaホテルにチェックイン。一泊585バーツというが、デポジットを2000バーツも取る。
最初はパスポートを預けるように言われたがそれは断った。パスポートを預ければデポジットはなかったのかもしれないが、こんなところのホテルのフロントに預けるより自分で持っていた方が安心できる。
部屋のテレビには去年泊まった宿ではただで見られたエロビデオがない。何か損をしたような気持ちがする。
どこのホテルの前にもでかいタイ国旗と黄色の国王旗が大袈裟にぶら下げられている。
Marinaホテルのフロントは英語も通じて親切だが、客は感じの悪い×ャン×ロ・タイばかり。
それでも部屋の天井にはKibratの方向を示す矢印が張りつけてある。これを見るのも久しぶり。
ネット屋のおやじの話だと、Marinaホテルは2度爆発があったそうである。
去年私が泊まったValentineホテル(エロビデオがただで見れた)もセキュリティが良くないという。
お勧めはGentineホテルということだった。
スンガイコロクの町は国境の町らしいマーケットがあり、食事も便利である。マレーシア式の食事もだいたいOK(テー・タリクは無理だろうが)。
町の雰囲気もそう特別ではない。今回はやはりヤラのほうが殺伐としていた。
夜になると昼にはよく見えなかったこの町の正体が見えてくる。
Marinaホテルの周りには売春バービアや売春ディスコが堂々と軒を並べて営業している。
何人かの白人男がタイ式に土人女をはべらせて空間を押さえている。
警察・軍隊もいたるところにいる。街を厳重に監視し警備している。
売春バービアが堂々と営業しているのは放っておいて、客がバーの女を連れて帰る「高級」ホテルを厳重に警備している。
売春を警備しているのだ。
タイ警察・軍隊は、土人売春国家たるタイランドの「土人売春国家体制」を警備しているにほかならない。
私にはこれは順序が違うのではないかと思われる。
当局がこの堂々たる売春営業を取り締まって売春バービアも売春ディスコもなくなれば、この場所でのテロは一般住民への説得力を幾分か失って収束せざるをえないのではないかとも思われる。
タイ国家がどれだけ本気にテロを抑えたいと思っているかは疑問である。深南部テロで死ぬのは売春婦と下っ端の役人だけであろう。
24日。
昼ごろ外に出ると毛唐のグループがぞろぞろ歩いている。
ナラティワトやパッタニではほとんど見かけなかった毛唐が、タイ式に半そで半ズボンでのし歩く。若いのもおやじも。女もいる。
昨日のネット屋には韓国人らしいのがいた。スンガイコロクで見ないのは日本人だけか?
ネット屋に行くと昨日は見なかった若い毛唐が二人来ていた。昨日は地元の生徒しか来ていなかった。
部屋中に響き渡る声で大声でしゃべり、電話をかけヒヒヒと大声で笑う。タイ売春婦にかけているような電話もあった。
自分の機械の調子が悪いといって地元の女の子がやっているところに行き機械を代われと言う。それは断られたか無視されたようだ。
マレーシアのネット屋に来る毛唐よりやはり一段下等になるように見える。ここにいる毛唐はみんなタイ滞在延長のためにスタンプを押しに来ただけだろう。
昨日は気づかなかったが、Marinaホテルの近くに“Lady Home”という英語看板を大きく掲げた「マッサージ」屋がある。家庭内暴力被害者のシェルターだろうか。
テロリストはもっとスンガイコロクを狙うべきだと思った。
毛唐が来なくなればそれだけでも世の中はかなりよくなる。
Marinaホテル近くの売春バービア遠景 (ほかにもいっぱい)
美容室で
美容室 は普通の(?)女の子と普通に仲良く(?)なれるところ。
この人はチェンライ出身で父親は中国人だとか。私には懐かしい顔立ち。おそらく、母親はアカ族ではないかと推測する。タイの地の果てコロク川まで「戦火」の中をはるばるやってきて・・・・。
同じ美容室で
こちらは別口。ラインが違うのか、すでに臨戦体制にはいっているのか。
毛唐が好んで連れ歩くタイプの容姿ではあるといえる。しかし、白人が連れ歩いているアジア人レンタルワイフの平均水準に比べるとかなり美しい。
なお、この人はこの時点で毛唐のレンタルワイフではなかった。
25日。
Marinaホテルをチェックアウト。歩いてボーダーに向かう。
どうせ20バーツなのでモトサイ(バイタク)を使ったほうがいいが、途中のネット屋によるために歩いた。
イミグレーションの手続きを済ませて、ランタウ・パンジャンへ。タイ側はもったいぶってパスポートはしげしげと見る。
マレーシアに出るとふわっと空間が広くなる感じがする。空間が明るい。
早速バス停近くでテー・タリクを飲む。ボーダーを越えただけで、タイではマレー系にも意味が通じなかったテータリクが飲めるようになる。タチレクに出ただけでラペイエが飲めるようになるのと同じ。
チキンカレーがおいしい。チキンの味が同じくハラールでもまったく違う。
スンガイコロクではマレーシアリンギが使えたが、ランタウパンジャンではイミグレ近くの店でもタイバーツは受け取ってくれない。
公衆トイレ(有料)番のおばさんがタイバーツも受け付けていたので、手持ちのバーツコインをリンギ(セン)コインに両替してもらう。おばさんのコインが足りず「手数料」を取られた。
1時間半ほど待って3時半ごろようやくコタバル行きのバスが来る。
バスはパシル・マス(Pasir Mas)を経由して、1時間ほどでコタバル市内に入る。
夕方5時近く、Azamホテルにチェックイン。90リンギ。一部屋空いていた。
2日間はいられるが、その後は予約でふさがっている。一応「アレンジ」を頼んでおく。
スンガイコロクの小さなネット屋は今日若い毛唐(ドイツ人など)がいっぱい来て大声で暴れまわっていた。
コタバルに来てネット屋に入る。
地元の人は、パキスタン丸出しの若者であっても小さな声でひそひそと話す。
ところがまた、毛唐女が2,3人入ってくる。
入るなり大声で「ハーイうんたら」といい、自分たちがどこでもタイ同様に大歓迎されているものだと思い込んでいるようだ。
そして、このわりと大きな部屋の隅から隅までがんがんに響き渡る声でしゃべる。